責任者出てこい!が好き
2014-10-03


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50才以上の大阪人なら「ぼやき漫才」といえば思い出すだろう「責任者出てこい!」
現代日本人はこの言葉がいまだに大好きである。
巨大地震と津波で2万人が死んだ、これほど大きな地殻変動なら予兆がわかったはずだし津波の規模もちゃんと伝えなかった、避難場所が津波には不向きだったので、
「責任者出てこい!」
山ぎわの扇状地に造成された住宅地が、局地的記録破りな大雨よる土砂災害で大勢死んだ、なぜ避難勧告を出さなかったんだ、
「責任者出てこい!」
有史以来の噴火記録がなく、やっと40年前に噴火し細々と経過観察をしていた御嶽山が水蒸気爆発(3000メートルを超える火山では小規模な)し登山者の大勢が死んだ、爆発前に火山税微動が増減を繰り返したのになぜ警報レベルを引き上げなかったんだ、
「責任者出てこい!」
みんな、他人の責任は、決して自分にお鉢が回ってこないことがわかっているから、「責任者出てこい!」と安心して叫べる。しかも周りの人々も同じ立場なのでてんでに好きなように「責任者出てこい!」と言い合って憚らない。


しかし叫んでいるのは皆素人評論家で、当事者でも責任者でもないので、まあ、野球でいえば外野席に陣取った観客のヤジというところだろう。
そこを自覚していればいいのだが、ネットの世界に発信できるようになってからは、「責任者出てこい!」は「贔屓チームの勝ち鬨」「正義の雄叫び」と同じように脳内にドーパミン・エンドルフィンの大量放出を伴い、一種の酩酊状態を作るようだ。
「責任者出てこい!」は、はじめに示したように30年以上前の「ぼやき漫才」のギャグネタであった。すなわちみんなで大笑いしておしまい、また次の新たなネタで「責任者出てこい!〜大笑い」と繰り返すだけである。
笑った客は誰一人、本当は自分が笑われているのだと思わない。そして自らは何も手を打たない、考えない。
「責任者出てこい!」は、自ら言ったり、他人のを聞いたり、みんなで賛同したりするとすっきりした「カタルシス」を味わえるが、自分自身の安全が担保されるわけでもなく、何かを学習するわけでもない。

自分なら何ができるかをトイレに座って考える方が、はるかに有益で、よい。
よしやそこで感極まって「責任者出てこい!」と叫んでも周囲には聞こえないから大丈夫である。叫びとともにたまっていた便が出たなら幸いでもある。
そうだ、本当に出てきた「責任者」もたいてい「クソ」であるので、出てきた責任者=大便と断言してもいいかも知れない。

災害時はまず自分の安全を図り、余裕があれば他人を助ける、その時の備えを、物的にも心の中にも築かなければ、自分の遺影の前で見知らぬ人が「責任者出てこい!」と言うのを、にがにがしくあの世から眺めることになるだけである。

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